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春夜一刻価千金

今夜は敬愛する、斎藤誠氏とバカボン鬼塚氏のトーク・ライヴに出かけてきた。

迷惑かかってしまうのでは、と分かっていても、この二人のトーク、しかもお題は AOR と来ては馳せ参じぬ訳には行かないのだった。

 

あまりにも素晴らしすぎて感涙の充実。

全部で 20 曲ばかり AOR の代表曲を次から次へ、レコードで紹介してくれたのだが、途中で誠さんの演奏まで入るのだった。惜しむらくは鬼ちゃんとのセッションがなかったこと。鬼ちゃんだって巧いのに(『他人の歌』万歳!w)。

でも、かねてから音楽だけでなく話芸までも達者なお二人、それが丁々発止で往年の名曲を紹介してくれる、こんなに至福の時間があろうか。ひさしぶりにこころから『ライヴ』を堪能させていただいた。ありがたいなあ、個人的にいろいろ事情があるので……。

 

御存知の方は御存知のとおり自分はこの数年、某ラボを手伝って、音響(音楽)を可視化したり、基礎的な音響現象を数理的にシミュレートしたりして研究の真似事をしていた。そこで『自己/相互相関関数』だの『古代ギリシャのハルモニア音階』だの、『ヘテロダイン共鳴』、『差分低音』、『構造音色』、『フィボナッチ和音』などの研究をしていたのだが、誠さんや鬼ちゃんは身体でそれらのいくつかを理解して、実際に演奏に使っていることが分かってビックリした。たとえばギターの弦を二本並べて同時に鳴らす、と誠さんは言っていた。そうすれば差分(四半音とかそれくらいのスケール)にあたる低音が『うなり』として加わり(高校物理で習うよね)、重層的な和音として——自然倍音列が生じて——響く。そういったことを彼らは体験として既に知っていて使いこなしているのであった。だから誠さんのギター 1 本から、あんなに凄まじくて、なおかつ流麗なハーモニーが生まれるのが音圧として体感できた。今夜は距離も近かったし。

 

やっぱり『プロ中のプロ』には敵わないなあ。(苦笑)

 

あと、彼らはライヴハウスという『箱』の中で演奏すること自体の意味も知悉していることが窺い知れた。たとえばコンサート・ホールでも、きょうみたいな小さいお店でも——『リヴィング・ルーム』的快感(苦笑)——そしてスピーカーは天井からぶら下げてあった(拍手!)——、マイクをどこに置いて、どっちの方向を向かって歌ったり演奏するかでいろいろな音響効果を演出できることは、能楽堂で執り行われる『能』の事例を知っていれば簡単に理解できる。

例を挙げると、朗々と歌いながら舞台の上手から下手へと歌手が向きを変えたりすれば露骨な音響効果が得られる。ワーグナー直筆のオペラ楽譜には、舞台のうえ 10 m の台から天使が語りかけるようにソプラノが歌う、とか奈落の底に降りて地獄から響くようにバスが響かせる、とか「指定」が書きこんであるそうだ。それらをきちんと実現できるのが、彼自身が設計した『バイロイト祝祭劇場』になる。

つまり、直達音、一次反射音、二次反射音、三次反射音、……と天然のリヴァーブが掛かって渾然一体の「響き」となっている。しかも上・下・左・右・前・後の関係性も、直截で覿面な音響効果を人間に与える。マーラーの交響曲なんかホール後方に「バンダ」を配置してトランペットを吹かせたりするよね。

 

ひょっとするとこれは失礼かも知れないけれど(ゴメンナサイ)、誠さんと鬼ちゃんそれぞれの楽曲を 1 曲ずつ選んで、「トラヴェリング相互相関関数」という物理数学を使って書いたプログラムで『音の顕微鏡』のように可視化してみた。近年の作品は以下のようになっている。

 

先ず、誠さんの『音楽友達』セルフ・カヴァー版。

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次に鬼ちゃんの B.O.K. から思い入れの『港町通信』。

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まだ、この研究は端緒についたばかりで分からないことばかり、こんな「複雑な」楽曲を分析するのは難しい。それを承知で解析すると、このグラフでは両者において『ピーク(主観的音源の中心)』を示す白点が時空間上の左右(ステレオの L / R に対応)に散らばっている。「ああ、そうか!」、多分これはスタジオにメンバー揃って「せ〜の」で一発録りしているだろうなあ、と愚考するのである(外れていたらゴメンナサイ)。いや、マイクは何本も置いているだろうし、ミキシングで工夫しているんだろうけれど、「演奏者と環境の関係性が時空間に分布する音を通じて定量的に観察される」んだな、この 2 枚のグラフからは。

 

わざと比較対象は出さないけれど、いまどき(ビートルズの昔から?)のポップスやロックはパートごとに別録りして、イイカゲンにミキシングした結果、デジタル・エフェクト多用などの所為もあって、たとえば上記の白点が中央の直線上に集中して分布したりしていることが多いんだよね、実は。さらに何故か露骨に「人工的だな」と分かる(ほぼ)シンメトリーな音風景が広がったりする。しかも「そっけなくて」。あるいは「歌手たち」がリスナーから「異様に遠かったり」することもある。それはそれで「意図せざる狙い」なんだろう……。

上記 2 グラフの『中央の丘』の拡がり具合は「主観的音源の拡がり」を示していて、ほら、たとえば人間は真夜中の暗闇で「虎」にガオーとやられるのと「子猫」にニャーとやられるのでは明確に区別がつくでしょ? ああいうのは単に音程や音色、音量だけの問題ではなく、歌手で喩えるならばオン・マイクで耳元に近づいて歌うか、オフで離れて歌うかの違いとして出てくる。方向だけでなく、大きさや距離も音の中で感じ取っているんだよね、人間は。具体的には左右の耳それぞれに伝わってくる音の、微妙なマイクロ・ディレイの差で判別している。

それだけでなく上記グラフにはたくさんの小山が乱立している。しかも白点も散らばっている。つまり瞬間瞬間、鳴っている「中心」が移動している。アシンメトリーだし。ということは、それぞれのパートの楽器が各々の場所で演奏していて、しかもそれに全体的なリヴァーブが「スタジオ」の効果として加わっているのが見て取れるんだな。

 

一方、「トラヴェリング『自己』相関関数」という似て非なる数理を使うと、今度は可聴域に於ける倍音の構成や、音符の長さ(テヌートの掛かり具合とか含め)、あるいはトレモロやビブラートの掛かり具合が——『顕微鏡』のスケールに従いながら異なる様相で——見えてくる(今回は割愛)。

こういった知識はそもそもコンサート・ホール設計のための、建築音響学にでてくる数理の応用と展開だったりする。ただ、「動的な」『音楽』を取り扱えるように、時間の推移にしたがった相関関数の変化をコマ送りの映画のように並べて拡張してみた。

 

わたしはゆえあって、というか未熟なので、この研究のお手伝いからは足を洗う。

けれど、それはそれでいくつかの弱点に直面して勉強になったし、やっぱり自分は自分にできることに専念したい、と以前からの途を考えるようになった。

それは統計分析などをからめたシステム開発の仕事だったりする。

長年傾注していた 3DCG 作品(データ)は某研究者のおかげで日の目を見せられそうだし。まだ十五万ダウンロード程度しかされてない筈の CC データだけど、もうすこしだけ飛躍させてあげたいのが率直な親心。

 

 

あと一番大切なのが、歌を歌うことそのもの。

ヘタクソだけれど好きなので。

だから今夜紹介された名手たちの楽曲もできるだけ手に入れて(Apple Music で助かってる)、すこしでもその間合いと呼吸をモノにしていきたい。

歌は人生———。

———人生は歌。

 

 

追記:

タイトルに『春宵一刻値千金』をもじってみたけれど、たしかこれ、李白先生だよね?と思っていたら蘇軾先生の勘違いであった。嗚呼。 orz......