刎頸の交わり

先日のことだ。

仲間とひさしぶりに会ってきた。

彼は創作表現を生業としていて、しかもちゃんと食えているので、会話しているといろいろと勉強になるのであった。知り合った切っ掛けは彼の作品をネットで見掛けたからだが、それ以来、偶にリアルで会食するようになり、付き合いも長くなる。お互いのタイミングがひさしぶりに合って、コーヒー・タイムを御一緒してきた。

 

今回の対話も様々に触発されるものがあった。

わたしは受験浪人時代、『プロスペローの本』という映画に knock out されてから映像表現を志し、長じてからその手段として 3DCG を選んだ。まるっきり素人からのスタートだった。卒研は当時まだ珍しかった Inverse Kinematics の実装で、ソースコード込みで 100 頁の論文を書いた。指導教授の専門分野外だから、と勘違いして、一生懸命、ロボット工学を「説明」してしまったのだ。

だが後年の付き合いから、社会に出てクリエイティヴ系の知己が増えて、もう 20 年以上になる。そこでいろいろと学ばされるのだ、先人たちに。3DCG という『(動く)プリント』の世界でどうやって「密度のある」表現をするのか、と。やっぱり圧倒的にマチエールが足りないんだよね。そして、観客の求めるモノは【物語】であり【カタルシス】であるから、それ以上のことを(商業)作品に込めても『届かない』。

 

そんなことにまつわる悩みや課題を仲間に打ち明けて話し合った。

彼は美大の出身で、バリバリと手を動かして実際のキャンバスの上に油絵の具を定着させようと格闘してきた人なので、手に取るように分かるらしく、微に入り細に入り相談に乗ってくれた。しかも芸術に対する志向も、うちの業界にいるオタクたちとは一線を画していて、伝統芸術への知見が深い。おかげでまた一段と意気投合するようにお互いの見解を交わしてきたのであった。

 

いろいろ思う。

わたしが目指していたモノはなんだったのだろう?と。

本当は映像表現を通じて《物語》を書き綴りたかった。

ところがひょんなトラブルから流転するような人生を送り、フィクションより不可思議な人生を歩くようになってから十数余年である。もし、いまのわたしが《物語》を紡ぐとしたら、七夕伝説に言寄せて社会システムの興亡を描くような群像劇を描きたい、と思うのだが、そんな映画を作るにはそれなりのあれこれが必要となり、およそ現実的ではない。そうなると個人作家として小説でも書くしかないよなあ、という話になる。

 

困った人生を歩いている。

まあ、よしんば悟ってみたところでヒトはヒト。

禅仏教では「悟ってみたらイイよ?」とは投げかけるけれども百尺竿頭、「気付いたあと」はすべて捨て去って『元の木阿弥』に戻らなければ「それもまた病気のうち」となる。凡夫は凡夫らしく、スベったり転んだりしながら精一杯生きていく、それこそが完全無欠であり、それこそが百点満点である。そのことを先輩から教わり納得できてから、業病への構えも緩くなり、ずいぶんとラクな精神生活が帰ってきた。

大昔愛していた歌詞に云う。

"♬ひらきなおろう 大人になろうじゃないか"

老成していた若年期に戻ろうとしている現在、近世だったらもう老境に差し掛かりつつある余命。

残された時間は少ない。

多分、やりたいこととやるべきこととできることの諦めをつけたほうが好い。

別に自己実現はすでに果たしてしまった。

業績も残す必要はない。

ただ生きて、ただ死ぬ。

そこにのみ課題がある。

 

最後に。

友情に感謝を!