視覚表現に於ける意味や文脈、その経時的構造———

ちょっと御無沙汰だった「いつもの店」に出かけてきた。

そこで同業者の作品を肴に批評することを通して、これからの時代、視覚表現において何を目指すべきなのか探ってみた。

 

好例とも思うので、次の 2 種類の作品をざっと観察していただきたい。

lovingvincent.com

 

www.mdn.co.jp

 

前者は、現代において数百人の油絵画家の労力を費やすことによって描いた「ゴッホ的」映像表現。

後者は、人工知能技術にゴッホらの絵柄を学習させて、それを別の画像に適用した静止画表現。

 

(前者より)

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(後者より)

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どちらも瞬時に一蹴された。

髭狸にも、眼鏡猿にも。

特に髭狸の指摘していたことが興味深い。

「ゴッホ」はゴッホ自身の生理、感覚、経験から「その場面を描くにふさわしい」筆致と工程を積み重ねることによって、『星月夜』ならば星月夜の、あのおどろおどろしくも静謐な画面を作り出している。それを他者(観客)は追体験することはできても、ゴッホ自身の『思索』や『思想』は推測の域を出ない。

 

そこにはヴィジュアル的な意味や文脈があり、それを如何様に表現するか、という色使いや筆致の組み立てがある。いわば、1 枚の絵画とは個々の作家による《視覚思想の経時的構築物》なのだ。

 

それにくらべて現代の人工知能関連技術(特に深層学習とか機械学習と呼ばれるモノ)は基本的に『パターン認識』の域を出ていない。此処には「時間を積み重ねることによって構築された構造物」としての《画面》が存在しない。だから、一番重要な【画家の思索の痕跡】がいっさい吹っ飛んでしまっているのだ。つまり、出力された結果画像が表層的なパクりに堕して、表現としては空洞化してしまっている。

これでは(ヴィジュアルに於ける)【意味】が伝わらない。

意味論的な必然性が成立していないのだ。 

 

 

素人目にはそれで誤魔化せるかも知れない。

 

だが、それは【表現の歴史】への冒涜である。

 

 

そう思うと、すくなくとも現状の「人工知能」にはまだまだ課題が多すぎるなあ、と痛感した。

 

 

それでもいまどきの Deep Learning とかが役に立つ分野や条件が多いのも事実だ。

特に、中小企業向けの案件では人材が払底してしまっている、と聞く。国家レヴェルの大型プロジェクトに駆り出されてしまったので、社会の中核で起こっているような諸問題に取り組めるような人材が吸い上げられてしまって、求人難に陥っているそうだ(わたしにすら、お声掛かりがある)。

 

でも、某所でとあるヴェテランに諭された。

「IT 技術で社会問題を解決できそうなことは多々ある。だが、ほんとうの問題はその会社や地域の『経営層』や組織文化、会社風土にあるのであって、つまり熟議と説得と決断以外に問題を解決する術はない。」

なるほど、そう言われればそうである。

自分も IT 屋として長年暮らしてきたから IT 技術(数学や物理などの理学、工学をふくむ)に片寄った発想をしてしまい偏重してしまうのだが、『世間』の大多数はそうではない。

なのに『ビッグ・データ』や『AI』のようなバズ・ワードに踊らされて、期待値を跳ね上げてしまう。

だが、ほんとうにそのビッグ・データや AI を使ったら自分の会社、というより「自分自身」の不出来さや問題性に直面せざるを得ない。これからの「分析者」はそこまで理解してコンサルティングしなければならない。ところが、すくなくとも日本の場合、そういったことを知りつつも、適当な金科玉条・美辞麗句を弄して顧客からカネを巻き上げる「自称コンサル」がこれまで多かったように見える。

勿論、「あとは野となれ山となれ」だ。

  

にも関わらず、AI 関連技術を使えば「それなりの答え」は出てしまう。

その答えは、実際の問題解決に対する適用において慎重で批判的な再検討を必要とするものであろうに、無闇と「答え」を援用するような社会になってしまい、人間自身の思考能力を奪う「御神託」や「御託宣」の類いになってしまうのではないか、と危惧してしまう。それが今回の『ゴッホ風の絵』問題の背後に潜んでいるのだ。

日本では特に、理工系において科学史や科学哲学的発想の重要性が理解されていない気配があるので、このことには警鐘を鳴らさざるを得ない。

 

 

そう思うと、なかなかこれからの《復興》を実現するには難題が山積していて、いろいろと、それこそ老獪さまでも動員して、すこしでも「全体のさいわい」を希求していくしかないなあ、と未熟ながら感じた。

なかなか困ったものである。

 

 

追記:
このエントリーについて、とある大学教授の方から「もっとスゴい事例があるよ」と御教示いただきました。
よく観察したうえで再度、別稿を構えたいと存じます。